週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号 トップ画像

1990年代少年マンガの買取事例です。今回は、週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号を持込にてお譲りいただきました。古書店三月兎之杜にお任せいただき、ありがとうございます。

合併号と発行部数

週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号 目次

92年のお盆前後に出た36・37合併号。表紙では具体的な数字は書かれていませんが、発行部数が新記録を達成した旨が記されています。

1990年代前半はまだインターネットが普及しておらず、ネットメディアの台頭によって紙媒体が消えていくなど誰も想像していなかった時代でした。そんな中『週刊少年ジャンプ』は右肩上がりに部数を伸ばし続けていました。

この時期のジャンプは新年とお盆前後の合併号で部数の伸びを発表するのが通例でした。この3年後1995年歴代最高の653万部を記録した号も3・4合併号です。しかしその時をピークに部数は減少。1997年には「週刊少年マガジン」に実売部数を抜かれてしまいます。

週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号 スラムダンク
週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号 幽遊白書

その原因については諸説ありますが、やはり95年25号の『ドラゴンボール』、96年27号の『スラムダンク』ほか、長期連載作品の終了が相次いだなども一因と言われています。

週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号

週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号 THE STORY トビラ

さて、話を戻して92年36・37号について。合併号はお盆や正月時期の印刷所や配本の休暇にあわせて、号数を調整する役割を果たします。若干ページ数も増えるようで、今号でもレギュラー連載陣に加えて2本の読み切りマンガを収録。その一つが次原隆二によるノーベル賞受賞者の伝記漫画、そしてもう一本が『ドラゴンボール』の外伝的作品『TRUNKS THE STORYーたった一たったひとりの戦士ー』です。

週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号 THE STORY 内容

『TRUNKS THE STORY-たったひとりの戦士-』は、連載中の『ドラゴンボール』本編とは異なる、今でいうと別の世界線の物語です。孫悟空が心臓病で亡くなり、人造人間17号と18号がゲーム感覚で人類を滅ぼしている絶望的な未来世界が描かれます。このエピソードは翌1993年2月にテレビスペシャルとしてアニメ化されました。

週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号 ドラゴンボール トビラ

そして『ドラゴンボール』本編も第386話を掲載。完全体となったセルとトランクスの対決が巻頭カラーで描かれます。扉ページにある「現在の戦士よ、結集せよ!!!」のアオリは、『TRUNKS THE STORYーたった一たったひとりの戦士ー』との区別のためのようですね。

週刊少年ジャンプ 1992年36・37合併号 ドラゴンボール 内容

『TRUNKS~』はジャンプコミックス版だと33巻に収録されていますがモノクロとなっています。カラーで読めるのは本誌収録版のほか、完全版や総集編など高額の単行本になってしまいます。

古書店三月兎之杜では、昭和から平成初期を中心に漫画雑誌の買取をお待ちしております。人気作品の新連載号やカラー掲載号などは、積極的にご評価いたします。まずはお気軽にご連絡ください。

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ホットドッグプレス トップ画像

ホットドッグプレスとは

ホットドッグプレス 10~86

ホットドッグプレス(Hot Dog Press)は、1979年講談社から創刊された男性向け情報誌です。

1970年代前半に起きたオイルショックは、高度経済成長期にブレーキをかけました。しかしそれは必ずしもネガティブな要素だけではなく、多忙の時代がひと段落したことも意味していました。

70年代後半には、余暇・余裕の時代への移行が起こります。ホットドッグプレスに先行した『ポパイ』平凡出版=現マガジンハウス)は、そんな1976年に創刊されています。その3年後に、ホットドッグプレスが創刊します。いわゆる「デートマニュアル」が乱立する時代の幕開けです。

「マニュアル」が普及した時代

ホットドッグプレス No200台

あくまで1970年生まれの個人的な印象ですが、この時期「マニュアル」というワードはちょっと特別なニュアンスがありました。例えば1971年に日本展開を開始したマクドナルドでは、スタッフ向けに詳細なオペレーションマニュアルが用意されていますよね。この頃、そうしたマニュアルが「存在すること」自体が、何かと話題になっていたのを覚えています。

例えば「マニュアルなんて画一的になってけしからん」みたいな言説もありました。しかし製造やサービス業は安定を迎え、口伝の時代からマニュアルの時代へと移行するタイミングだったのだと思います。

「性」を扱う特集が人気

ホットドッグプレスNo.400台

なお、ホットドッグプレスを含む「マニュアル系情報誌」で人気の号は、やはり「性」に関する特集号だったようですね(男女向けを問わず)。定期的にその特集が組まれると、売り上げがぐんと伸びたようです。

ホットドッグプレス オーディオ

私自身は購読はしていなかったのですが、学生時代に通っていた床屋にあったので『ホットドッグプレス』を拾い読むこともありました。基本的にオタク体質なのでガジェット関連しか読んでいなかったです。ファッション関連は全然頭に入ってきませんでしたが、今になってもう少しマジメにその辺も読んでおけばよかったなと少し思いますね。なお、さすがにセックス特集はお店で避けていたみたいです。

さて、以下からは弊店で過去にお取扱した号の写真とともに、ホットドッグプレスの歴史を追っていきます。

ホットドッグプレス創刊号~第3号(1979年7月号~9月号)

創刊号

ホットドッグプレス 創刊号表紙

まずは創刊号の目次をちょっと追ってみましょう。

正直、3列に分割された目次の一番左はよく解りません。エキセントリックな見出しで興味を惹く「つかみ」的なネタの羅列感が強いですね。

ホットドッグプレス 創刊号目次

51ページからの「学生驚愕大新聞」はキャンパスライフに関する記事が集中しており、雑誌のターゲットが大学生であることが示されています。50ccバイクやターボに関する基礎知識なども、二輪・四輪のエントリーユーザーを意識していることがわかります。ちなみに国産車初の市販ターボ車は、この年の12月発売の日産セドリック/グロリアでした。

ファッションについての明確な記事はポロシャツ再考くらいですね。宇宙考古学記事は唐突な印象がありますが、70年代オカルトブームの残滓と考えれば「抑え」なのだと思います。

第2号/第3号

ホットドッグプレス No.2表紙
ホットドッグプレス No.2目次

続く第2号はマリンスポーツなど「夏」に焦点を当てた内容です。沖縄・八重山諸島方面への冒険旅行への提案が主軸でしょうか。その他夏のレジャー紹介が多数、30の提案の中にある「川流れ」はラフティングのことでしょうか、この時代としてはまだ珍しかったと思います。

ホットドッグプレス No.3表紙
ホットドッグプレス No.3目次

第3号は「ロック」をテーマとするなど特集スタイルで統一感を感じる構成内容です。同時に間近に迫る秋を意識してジャケットや秋物の記事を掲載するなど、ファッション要素もシームレスに盛り込まれるようになりました。

1980年代

ホットドッグプレス 80年代初期

そして創刊間もなく80年代に突入。この時期はパターン破りや楽屋オチなど世の中を斜めに見るような時代だったと思います。雑誌やテレビの広告でも、従来のスタンダードな枠からはみ出たものが話題となることが多くなりました。こうした広告媒体の影響の拡大を受けて、流行の創出に代理店が深く関わるようになっていきます。

ホットドッグプレス 80年代半ば

当然雑誌記事においても、スポンサーの意向を汲んだものが多くなっていきます。「この秋の流行は●●」とか言いつつ、実際には●●を流行らせましょうという動きですね。

ホットドッグプレス 80年代後期記事

もちろん悪いことばかりでもなく、みんなであえてそうした情報に踊り踊らされることで特定の商品の売り上げが伸び、さらにそこに便乗したメーカーや周辺アイテムも良い結果をもたらすようになっていきます。

ホットドッグプレス 80年代後期記事2

でも大学生や社会人なり立てくらいの若い人にダブル・ブレストやスリーピースをススメるあたりは単にバブルっぽいなと思ってしまいます。

ホットドッグプレス 広告 松田聖子
ホットドッグプレス 広告 斉藤由貴

そしてこれは70年代以前からですが、やはり旬のタレントやアイドルの起用も重要でした。ただ、特に80年代はアイドルブームの影響もあり、女性アイドルの売り上げへの影響も多かったようですね。こちらに挙げた松田聖子、斉藤由貴、富田靖子、中森明菜は多くのCMに出演していました。

ホットドッグプレス 広告 富田靖子
ホットドッグプレス 広告 中森明菜

実際70年代から80年代のCM・広告が火をつけたヒットアイテムは枚挙に暇がありません。もちろん偶然のヒット作もありますが、多くがCMの集中投入と雑誌記事・広告との連動による計算されたヒットでした。これらの時代の雰囲気がバブル景気を生む流れになったのではないでしょうか。

1990年代

ホットドッグプレス 90年代

しかしやがてバブルは崩壊、Wndows95発表以降はインターネット時代の到来によって、ヒット作が生まれる構造に変化が訪れます。

企業がホームページで直接情報を発進するようになっただけでなく、素人でも情報の発信が可能となったことで、紙媒体のメディアは大幅にその影響力を失っていきました。

ホットドッグプレス 記事小池栄子
ホットドッグプレス 記事 広末涼子

この時期に本誌の表紙やグラビアを飾ったアイドルも30年近い時間が経過しました。外観が変わった人変わらない人、外観は変わらないのにイメージが大きく変わった人とか色々いますね。

▼弊店で100冊まとめてお譲りいただいたときの記事

2000年代~現在

ホットドッグプレスロゴ

最終的に雑誌としてのホットドッグプレスは00年代に休刊。その後何度かウェブ媒体などで復活したりした末に、現在では電子書籍アプリなどでの定額読み放題対象として週刊で刊行されています。

だいたい2号に1回は性関連特集、残りはガジェット特集となっており、それらに過去のエッセイなどの再録で構成されているようです。

最新号No.604では北方謙三氏の『試みの地平線』第5回の前半部が収録されているとのこと。いやコマ切れにしなくてもそれなりに長期連載だったのでストックはありそうな印象ですが。

何度も擦られたネタですが、伝説となった「ソープに行け」が出てくるのはいつになるやら……(調べると初出は16年の連載期間の3年目頃のようでした)。


ホットドッグプレスに限らず、こうした青春期のカルチャー誌・情報誌は、時代の空気そのものを閉じ込めた資料でもあります。

実家の整理や蔵書の見直しなどで「これ、価値があるのだろうか」と迷われましたら、号数や表紙、状態を教えていただければ査定いたします。お気軽にご相談ください。

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投稿者:taguchi

伝習院 算命学テキスト トップ画像

干支暦を基として人の運命を占う「算命学」。今回はその算命学を現在に伝える、野島和信氏が設立した伝習院で使用されているテキストをお譲りいただきました。ありがとうございます。

算命学とは

伝習院 算命学テキスト1~5

算命学については太陰暦や十二支など天体の運行に基づく占星術や陰陽五行など、中国発祥の要素をベースとして日本で大成された学問の一つです。生年月日などから人間の特性や運命を推し量ります。部分部分を抜き出すとオカルティズムを感じるかもしれませんが、入力する要素と結論までの過程には一定の法則性があり、学問として修めた者なら基本的に同じ結論に達します。そういった意味では算命学は学問の一種であることは間違いないと思います。

伝習院

伝習院 算命学テキスト6~10

伝習院は算命学者の野島和信氏が設立した学習所を起源とし、現在も算命学の学問体系を広める教室です。公式サイトによると2026年現在はDVDを使った通信講座に注力しているようですね。月一回DVDが送付され1講義2時間の受講が可能。受講している科を終了すると次の科へと新旧するしくみのようです。DVDの講義は2015年に亡くなった野島氏によるものとなります。

算命学テキスト

伝習院 算命学テキスト1巻奥付

今回お譲りいただきました師範科テキスト全10巻は平成12年(2000)に初版発行されたものとなります。伝習院当時はDVDがちょうど普及し始めた頃で、インターネットも通信速度が遅く、そもそも常時接続も普及していなかった頃だったと思います。

伝習院 算命学テキスト折れ
伝習院 算命学テキスト スレ

古書店三月兎之杜では、算命学教本をはじめ各種関連書籍の買取をお待ちしております。伝習院の近年のDVD講義は、教本のみならずDVDも買取対象です。まずはお気軽にご連絡ください。

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投稿者:taguchi

ブラック・ジャック「指」掲載号 トビラ

「漫画の神様」こと手塚治虫後期の代表作『ブラック・ジャック』の、単行本未収録エピソードを掲載した週刊少年チャンピオン(1974年6月24日号)をお譲りいただきました。

ブラック・ジャック「指」掲載号 表紙

手塚治虫とは

手塚治虫は1928年大阪府豊中市生まれ、5歳の時に兵庫県宝塚市に移転。戦後間もない1946年より「少国民新聞」(現:「毎日小学生新聞」)にて『マアチャンの日記帳』や「京都日日新聞」の『珍念と京ちゃん』などを連載。1947年に発表した長編『新寶島(新宝島)』が大ヒットとなります。

1950年よりマンガ雑誌に自作を次々と発表。後に日本初のテレビアニメシリーズとなる『鉄腕アトム』や動物たちを主人公とした『ジャングル大帝』、宝塚少女歌劇団の影響も色濃い『リボンの騎士』といったヒット作を次々と発表していきました。

手塚治虫漫画全集(全400巻)

60年代には虫プロを設立し、かねてからの念願であったアニメーション製作に着手。良質なアニメとマーチャンダイジング展開による製作費の捻出を確立した『鉄腕アトム』は大成功でしたが、やがて後続他社の中に埋もれていきます。

『ブラック・ジャック』とは

ブラック・ジャック「指」掲載号 目次

1973年に虫プロは倒産。その負債を返す目的もあり同年に「週刊少年チャンピオン」でスタートしたのが『ブラック・ジャック』です。凄腕だが闇医師であるブラック・ジャックを主人公として、その奇跡のようなメスさばきと「命」にかかわる人間模様が一話完結形式で描かれました。

かつて手塚は医師への道を諦めた経緯がありました。終戦の年に大阪帝国大学附属医学専門部への入学を許され、漫画家として活動しつつもなんとか卒業し、1952年には医師国家試験にも合格しています。しかしその頃すでに漫画家としての実績を積んでいた手塚は医師にはなりませんでした。『ブラック・ジャック』の連載背景には、手塚の医学に対する心残りが幾分あったのかもしれません。

ブラック・ジャック「指」掲載号 次号予告

この時期、手塚の薫陶を受けた若い世代の台頭や劇画誌の流行もあり、人気商売でもある漫画業界の中ですでに手塚治虫は過去の存在となりつつありました。手塚に連載を依頼した少年チャンピオン編集長・壁村耐三も、当初は手塚の最期を見届けるつもりだったと言います。表紙や目次、次号予告ページにおける『ブラック・ジャック』の扱いを見ても、少なくとも本作連載初期は、手塚治虫はもう特別な存在ではなかったことがわかります。

しかしこの時期の週刊少年マンガは、次号への引きを作っていかに読者を毎号読ませる(買わせる)か、という展開ばかりでした。そうした中で『ブラック・ジャック』は、いつ終わってもよいように一話完結の読み切りスタイルで連載を重ねていきます。その斬新さと手塚自身の医療知識によるストーリーに、読者は惹きつけられていきます。

たちまち『ブラック・ジャック』はヒットとなり、少年マガジンでは『三つ目がとおる』がスタート。『火の鳥』の再開や『ブッダ』の新連載などで、1977年には手塚は6つの連載を抱えていました。

『ブラック・ジャック』「指」と「刻印」

ブラック・ジャック「指」掲載号 冒頭

今回お譲りいただいた1974年27号の「指」は、連載初期の第28話として発表されたエピソードです。指が1本多い状態で生まれる多指症によっていじめられていた間久部緑郎と、彼と旧友だったブラック・ジャック(BJ)が再会。暗黒街でのしあがり国際手配されるまでになった間久部は、かつて自分の指の切除を依頼したBJに、指紋を変える手術を依頼します。

手術を終え報酬を受け取ったBJですが、そのケースには爆弾が仕込まれており、BJは間久部の裏切りを知ります。

ブラック・ジャック「指」掲載号 裏切り

この「指」は連載終盤にあたる1978年に、第227話「刻印」へと再構成されました。「刻印」では多指症に関する表現はなくなり、間久部のBJに対する行動も真逆で、爆弾は部下の独断だったことになっています。同一の原稿を切り貼りしているため、「指」オリジナルの状態の原稿は存在しません。多指症に対する差別や偏見を助長するという判断だったのでしょうか、今後も「指」が世に出ることはないでしょう。

実は「刻印」についてはリアルタイムでチャンピオン誌上で読んでいます(当時8歳)。さすがに「指」の方は今回初めて読ませていただきましたが、差別的かどうかとは別に、間久部が終始BJに対して誠実であろうとした「刻印」のほうが好きですね。


ブラック・ジャック「指」掲載号 グラビア
ブラック・ジャック「指」掲載号 表4広告

古書店三月兎之杜では、昭和期のマンガ雑誌の買取をお待ちしております。単行本未収録話の掲載号や、人気作品の連載第1回掲載号などは、高価で買取いたします。もちろん年単位でまとめての買取などもおまかせください。まずはお気軽にご連絡を!

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投稿者:taguchi

有鄰館古印存 トップ画像

東洋美術のコレクションを多数所蔵する京都の私立美術館、藤井斉成会有鄰館の印譜『有鄰館古印存』をお譲りいただきました。限定五十部、中国の春秋戦国時代からの印章を直接押印した、希少な原鈐本です。

有鄰館とは

有鄰館古印存 トビラ

有鄰館(ゆうりんかん)は藤井紡績の創業者・藤井善助(1873~1943)の蒐集物を保存展示するための機関です。日本の私立美術館の草分けでもあります。多くの企業の取締役社長や重役を務める実業家であり、村長や衆議院議員などの政治活動にも携わる傍ら、静堂の号を持つ中国古美術骨董の収集に勤しみました。そのコレクションは当初自邸内で公開されていましたが、大正15年に藤井斉成会を設立し広く公開されるようになりました。

有鄰館は国宝「春秋経伝集解」、「絹本淡彩毛詩大雅蕩之什図」をはじめとする国の重要文化財9件を収蔵。さらに中国の殷から清に至るまでの各時代の青銅器、仏像、書画、陶磁器など、収蔵展示品は多岐に渡ります。

その藤井有鄰館にて斉成会設立前の大正10年より主事となったのが、篆刻家の園田湖城(1886~1968)です。独学で秦漢印を学び森琴石(1843~1921)らと平安印会を興し、古官印の研究を進めます。園田は官印に投影されている当時の役人の人生に思いを馳せ、香を焚きつつ印譜を作成したと伝えられています。

有鄰館古印存 内容

藤田が蒐集し、有鄰館が所蔵する3300余りの古銅印のコレクションは質・量ともに世界屈指のものと評価されています。園田はそれらの古銅印を整理し、大正末期から昭和初期にかけて一部を実押した私家版を製作し、流布させています。

有鄰館古印存とは

有鄰館古印存 セット内容

今回お譲りいただきました『有鄰館古印存』は、平成4年の発行。かつて園田が私家版を流布させて以来、半世紀以上にわたって有鄰館の奥深くに眠っていた古銅印から300点を厳選。実際に押印した原鈐本として頒布されました。

有鄰館古印存 奥付

印刷ではなく手作業ですので、部数もわずかとなっているわけですね。ケース(帙)に収められた全六巻を揃いでお譲りいただいております。

有鄰館古印存 案内書

付属の案内状によれば古鈢(古璽:春秋戦国時代の印章)にはじまり秦印、漢印、三国印から南北朝印にいたるまでの官印、私印、肖形印、子母印などを、当時の有鄰館館長である藤井善三郎が厳選。過去に園田が編集した、『靄々荘蔵古璽印』との重複を避けるなどの配慮がなされている旨が記されています。


古書店三月兎之杜では、各種印譜の買取をお待ちしております。貴重な原鈐本は特に大歓迎、高額での買取をさせていただきます。まずはお気軽にご連絡ください。

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呉清源全集 トップ画像

「昭和の棋聖」「碁の神様」とも呼ばれた天才棋士・呉清源の著作集全揃いをお譲りいただきました。先日ご紹介した「怪童丸」木谷實と共に「新布石」を提唱し、昭和期の囲碁界を席巻した人物です。

呉清源とは

生い立ち

呉清源は1914年(大正3年)中国福建省生まれ。5歳の時より四書五経を学び、7歳の時に父・呉毅が日本から持ち帰った棋書や取り寄せた棋書から碁を学び、神童と呼ばれるほどに実力を開花させます。9歳の頃には北京の碁会所で当時の一流棋士と打つようになり、10歳で父を亡くすも、資産家や文化人たちの間で天才少年として話題となります。

呉清源の才覚は日本人の間でも話題となり、自分たちのクラブにも彼を招くようになります。日本の囲碁界では訪中した邦人棋士たちと互角以上の実力を持つ呉の訪日が計画され、1928年、14歳で母たちと共に日本に渡ります。

新布石

来日後まずは三段でスタート。「呉少年出世碁」と呼ばれる対局で名立たる棋士たちと渡り合いますが、この時に当時まだ二十歳そこそこの木谷實とも対局しています。その直後の1年は健康上の理由で大手合は休場しつつも、対局で好成績を維持。1930年からの大手合では3年間に29勝3敗の好成績を収めるなどの目覚ましい活躍を果たします。

1933年には五段に昇段し、同じく五段の新進棋士だった木谷と十番碁で対局。同勝負は木谷の六段昇進で中止となりましたが、この時に呉が試した従来は異なる布石に木谷が注目します。木谷は地獄谷温泉に呉を誘い、自らの構想する中央重視の序盤理論を提唱。呉もその発想に深く興味を抱いて共に研究していきます。二人が打ち出した新たな布石理論は早速その秋の大手合にて実践され、呉は1等、木谷は2等とワンツーフィニッシュを成し遂げます。この時用いられた布石こそが「新布石」です。

呉清源時代

以降も囲碁界を牽引する若手棋士として木谷と共に活躍。1939年から1941年にかけては読売新聞の企画での両者の打ち込み十番碁が行われ、6勝4敗で勝利。勝負の舞台には鎌倉の名刹が用いられ、鎌倉十番碁とも呼ばれます。

1942年に木谷と共に八段に昇段、同年に妻を迎えます。戦中に入信した璽宇教の教祖と共に1948年にかけて各地を転々としますが、事業家の西幸太郎が横浜の自宅離れに食客として呉一家を滞在させます。囲碁界に復帰後も大手合や十番碁などで勝ち続け、彼の来日から1960年初頭にいたるまでのおよそ三十年は「呉清源時代」とも呼ばれました。

1961年に交通事故に遭ってからは後遺症に悩まされその勢いは陰るも弟子たちも活躍。1984年に引退するも研究者として歩み続けます。2014年に満100歳でその生涯を終えますが、彼の死後に登場したアルファ碁などの人口知能は、彼が引退碁に提唱した「21世紀の碁」の影響を受けていると言われています。

呉清源全集

著書としては打碁集全集や詰碁集のほか、随想録や回顧録などを著わしてします。今回お譲りいただきました「呉清源全集」は、引退までの各著作を集めた、現役時代の集大成ともいえる内容で、編集顧問としてプロ棋士の大竹英雄と林海峰が名を連ね、編集主任は「月刊囲碁」初代編集長の勝本哲州が担当しています。1987年から1989年にかけて白水社から発刊された和綴じ全15巻と別巻1巻の全16巻を、収納用の桐箱と共にお譲りいただきました。

先述通り引退後も研究を重ねましたので、1992年に発表された「21世紀の碁」関連の著作などは含まれていません。しかし本全集およびそれ以降の書籍とあわせ、真の呉清源全集をお手元に揃えるのも研究家の楽しみかもしれませんね。


古書店三月兎之杜では、呉清源および木谷実といった棋聖たちの著作や全集の買取をお待ちしております。特に昭和期に発行された著作は大歓迎! 古い発行物ですので、痛みや破損などはあって当然のものと考えます。まずはお気軽にご相談ください!

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投稿者:taguchi

『民衆史の遺産』トップ画像

2012年より発行された民俗学関連の全集『民衆史の遺産』をお譲りいただきました。古書店三月兎之杜の買取をご利用いただきましてありがとうございます。

民俗学とは

『民衆史の遺産』3巻オビ

民俗学はある特定の国家や民族の、一般市民レベルでの風俗や週刊、伝説、民話、歌謡、生活用具などに至るまで収集、研究していく学問です。国家の歴史や位の高い人物に関する記録は書物などで残りますが、識字率の低い庶民レベルでは資料も残りにくいわけです。

民俗学、文化人類学の流れは、海外では18世紀末頃、日本では19世紀末頃に起こってきます。いずれも市民革命や近代化に伴う社会体制の急激な変化や都市化の流れの中で、民衆レベルの記録が失われていくことに気づいたわけですね。それあで当たり前にあったものを失くして初めてその重要性に気づくのは、なんとなく古書をはじめとする蒐集趣味に通じるものがありますね。

日本における民俗学は、1886年に坪井正五郎が立ち上げた東京人類学会にはじまるといわれています。続き20世紀初頭に農商務省官僚だった柳田國男が、宮崎県で取材した狩猟の記録「後狩詞記」によってその一歩を踏み出します。そして戦後には「日本民族学会」が発足。それまでの民俗学は柳田個人が自宅で主催する集まりなど氏個人に発する運動規模でしたが、学会発足後は大学などでの講座も開かれ、学問として一歩進んだ体勢が整うことになります。

民俗学は各地の集落単位で民間伝承や民俗資料、道具などの記録を聞き取り・時に残された文字資料を集めていくフィールドワークの蓄積が要となります。そうして得られた資料を類型化し比較していくことで、民族事象の出自や変遷を明らかにしていきます。

民衆史の遺産

『民衆史の遺産』1巻奥付

今回お譲りいただきました『民衆史の遺産』は2012年から2019年にかけて刊行された、民俗学関連著作の全集です。

各巻ごとのテーマにあわせた著作を収録。例えば第1巻「山の漂泊民 サンカ・マタギ・木地屋」ではかつてサンカ(山窩)などと呼ばれた、山間部を中心に狩猟採集などで生活する集団についての著作を集めています。近年では「山の民」など無難な表現になっていますが、戦後間もないあたりまでは「山奥に住むなんだかよくわからない連中」といった扱いでした。当然サンカたちも時に彼らと交流し時に対立する村落の人々も文字で記録を残すようなことは稀で、それゆえに近代化によって彼らが姿を消しかけていたタイミングでの取材は貴重なものといえるかもしれません。

第1巻ではサンカ関連柳田國男自身による「イタカ」「サンカ」をはじめ、荒井貢次郎「幻像の山窩」、宮本常一「サンカの終焉」ほか11作を収録。さらに秋田マタギ資料や、本全集の編集者である谷川健一と荒井貢次郎および礫川全次それぞれとの対談によるサンカ考なども収められています。

以降の巻も同様に「鬼」(2巻)「遊女」(3巻:上のオビ画像)「妖怪」(7巻)「憑きもの」(10巻)「アイヌ」(13巻)といったテーマごとにまとめられています。なお14巻は「沖縄」がテーマでした。

古書店三月兎之杜では各種民俗学関連書籍の買取をお待ちしております。どうぞお気軽にご連絡ください!

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得壷山房印寄トップ画像

古書店三月兎之杜にて買取させていただきました、希少な中国書道の印譜をご紹介します。印譜とは中国古来の歴代の印章や印鑑を収録した書籍となります。

印譜とは

得壷山房印寄 印影

印譜は中国古来からの印章を集めた冊子です。
中国では印章は戦国時代から使用されてきました。身分の高い者たちの間で、文書などの内容を証明するために捺されたそうです。現代日本のハンコとあまり変わらない使われ方ですね。

日本では江戸時代にハンコの使用が民間にも広がり、現代でもハンコ文化と呼ばれるほどに浸透したのに対し、本家中国ではむしろその印鑑の印影自体の美術性が注目され、書道の手本となるなど独自の発展を遂げています。

原鈴、鈐印とは

得壷山房印寄 印影アップ

中国では歴代の印章の記録を残すことも重要でした。印譜はその本を編纂した時点で残っていた印章を伝える役割を持っています。「原鈴本」はもととなる印章を直接鈐(押捺)したもので、記録集として最も原典に近いものを伝えます。

過去の印譜などに残された印をもとに複製し(模刻)、鈐した印を集めた印譜は「鈐印本」と呼ばれます。また、木版印刷が普及すると「翻刻本」と呼ばれる印譜も作られるようになり記録として残されるようになりました。当然「原鈴」以外は印影の再現性は順を追って低くなるわけですが、その再現性を維持するために篆刻文化も発展していったわけです。

得壷山房印寄について

得壷山房印寄 一式

今回お譲りいただいた『得壷山房印寄』は、李 佐賢(1807~1876)により集められた印影をまとめたものとなります。李佐賢の時代に現存していたと思われる印章を鈐した原鈴を、和綴じにしたものとなります。

李佐賢の著書にはこのほかに『石泉書屋全集』などの著書もあり、各地の碑文などを記録していたりしたようですね。


『得壷山房印寄』も『石泉書屋全集』もいずれも三月兎之杜にて買取をお待ちしております。和綴じ本は古いものですので、紙の変色や破損・欠損、綴じ糸のほつれや切れなどは当然と考えております。状態にかかわらず、いつでもお気軽にご相談ください。

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投稿者:taguchi

教行信証講義録 トップ画像

浄土真宗の最大宗派である本願寺派がまとめた仏教書『教行信証講義録』をお譲いただきました。ありがとうございます。本書は浄土真宗の宗祖である親鸞が著した『教行信証』についての講義をまとめた書籍となります。

親鸞と教行信証

教行信証科段 内容1

親鸞(1173~1263)は、鎌倉時代初期の僧侶です。後に浄土宗の宗祖となる法然(1133~1212)を師と仰ぎ、その浄土往生の思想を継承。親鸞本人はあくまで法然の教えをさらに高めていくことを目的とし、自ら開宗するつもりはありませんでした。

しかし親鸞の死後、弟子たちがその教えを基に新たな教団として発展させたのが浄土真宗です。その時にさかのぼって、聖典である『顕浄土真実教行証文類』の草稿が完成した1224年を開宗の年としています。この『顕浄土真実教行証文類』の通称こそが『教行信証』です。

もともと『顕浄土真実教行証文類』は、親鸞の祖である法然が記した『選択本願念仏集』を解説し、その正当性を論証する内容でした。一方で本書から読み取れる親鸞の仏教教義解釈は非常に独特なもので、他の宗派とは大きく異なっていると言われています。それ故に本書が浄土真宗の聖典となり、同宗派を伝える本願寺派からは「御本典」、親鸞の真蹟本を所蔵する真宗大谷派では「御本書」などと呼ばれています。

教行信証講義録

教行信証講義録 ケース

今回お譲りいただきました『教行信証講義録』は、本願寺派の大江淳誠和上(1892~1985)が『教行信証』について解説した講義をまとめたものとなります。編集・出版元となる宗学院は出版社ではなく浄土真宗本願寺派の寺院となります。

教行信証科段 内容2

大江淳誠は福井県丹生郡四ヶ浦町の浄土真宗本願寺派浄信寺に生まれ、1922年に龍谷大学を卒業。1940年に同大文学部教授に就任。1946年に仏教学を指導する位である勧学となり、1949年に西本願寺にて「往生論註」を講じます。そして1963年に講じたのが『教行信証』です。

大江淳誠は講義にあたっては『教行信証』全巻を諳んじ、独特の話術と名調子で受講者の人気も高かったようですね。同和上は本書のほかにも『教行信証講述』『教行証文類と相承の釈義』『教行信証と仏教思想』『教行信證体系』など、『教行信証』およびそのほかの浄土真宗関連書の解説・講義書を多数著わしています。

古書店三月兎之杜では仏教書や宗教関連の専門書の買取をお待ちしております。宗派不問、秘密厳守です。まずはお気軽にご連絡ください。

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投稿者:taguchi

今回ご紹介するのは、2022年5月24日より発売開始し、2026年3月に全100号をもって完結した『スター・ウォーズ スターシップ&ビークル・コレクション』です。

今でも多くのファンに愛される「スターウォーズシリーズ」に登場するスターシップやビークルを、ダイキャストモデルで再現したデアゴスティーニシリーズです。

以前発売されていた『R2-D2』や『ミレニアム・ファルコン』などとは違ったコレクション要素と魅力があり、ファンとしても嬉しい内容となっています。現在は31号まで発売がされていて、全80号での完結が予定されています。これから続々と登場するスターシップやビークルのことを考えると、期待が高まります。

『スター・ウォーズ スターシップ&ビークル・コレクション』のバックナンバー

過去に発売されたスターウォーズ関連のデアゴスティーニ買取りブログもございます。査定価格もご紹介していますので、参考になさってください。シリーズ刊行途中のお品物も、買取りいたします。


最後までご覧いただきありがとうございました。

古書店三月兎之杜ではデアゴスティーニの買取を積極的に行っております。大量大歓迎です!

詳しくは、古書店三月兎之杜のデアゴスティーニ買取のページを是非ご覧ください。

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投稿者:usagi

ドラゴンボール 第1巻第1刷 トップ画像

1985年発行の『ドラゴンボール』第1巻第1刷をお譲りいただきました、古書店三月兎之杜の買取をご利用いただきありがとうございます。

ドラゴンボール 第1巻第1刷  奥付

こちら、経年による若干の褪色こそありますが、40年以上前に発行されたものとは思えないほど状態は良好です。天地や小口、かどの擦れや折れなどがなく、カバーもよれず本体と一体化したかのように形を保っています。41年間書店の棚に収まっていたのではないかと思わせるほどです。正直外観はもちろん、中のページを開くのも緊張しましたね。

ドラゴンボール 第1巻第1刷  コンディション1
ドラゴンボール 第1巻第1刷  コンディション2
ドラゴンボール 第1巻第1刷  コンディション3

『ドラゴンボール』とは

ドラゴンボール 第1巻第1刷  トビラ

鳥山明・著『ドラゴンボール』は、週刊少年ジャンプ51号1984年11月発売)から1995年25号まで10年半に渡って連載されたファンタジーアクション漫画です。

ジャンプ ドラゴンボール連載開始号
『ドラゴンボール』連載が開始された、週刊少年ジャンプ51号(12月3日号)1984年11月発売
ドラゴンボール 第1巻第1刷  目次

鳥山明はすでに週刊少年ジャンプで『Dr.スランプ』(1980~1984)を連載し、同誌の人気漫画家の一人となっていました。しかし『Dr.スランプ』では1話完結式のギャグマンガというスタイルをとるうちにアイデアが枯渇し、終盤では作中でもその悩みを吐露するようなメタ展開となっていきました。

そのためか次の連載は同じギャグではあっても西遊記をモチーフとした、連続ストーリー形式のロードムービーとしてスタートします。

ドラゴンボール 第1巻第1刷  トビラギャラリー

ただしロードムービー要素は序盤のみで、ジャンプ連載の常ともいえるトーナメントバトル編(天下一武闘会)に突入。以降は強大な敵が登場し、修行して撃退。時にはその敵が仲間となりさらに強大な敵に挑む、といった少年漫画の王道を進む作品となっていきました。とはいえやはり鳥山マンガの特色ともいえる、敵役を含む登場人物たちの憎めない性格は魅力の一つでしたね。

連載終了後もアニメやゲームなどで、続編や番外編ストーリーが製作されるようになっていきます。2010年代に入ると、鳥山明氏本人が積極的に新作アニメの原案や脚本に関わるようになっていきました。そのためストーリーや世界観に破綻がなく(敵や舞台スケールのインフレという王道展開も含め)、名実ともに『ドラゴンボール』の世界が続いていきました。

しかし残念ながら鳥山明氏は2024年3月1日に急逝。訃報が発表された3月8日は、文字通り世界中が悲しみに包まれました。

『ドラゴンボール』第1巻

ドラゴンボール 第1巻第1刷  表紙2

今回お譲りいただきました『ドラゴンボール』第1巻は、触った瞬間に本としての存在感が違うのを感じました。

ドラゴンボール 第1巻第1刷  背表紙

私個人も当時のコミックスは何冊か残っていますが、たとえ読まないでいても引っ越しや整理などで本棚の移動をさせるだけで少しずつ表面やかどなどにスレや劣化が発生します。今回は、ほとんどその劣化が見られませんでした。

ドラゴンボール 第1巻第1刷  2巻予告

1刷目というか初版の特徴としては、こちらの2巻の予告ページの存在でしょうか。はたしてどの段階からかは未確認ですが、少なくとも2巻が発売された86年1月以降は変更され、版も変わっていると思われます。1巻との間は4カ月ですので、初版というだけでも希少、その第1刷はさらに希少、そしてこのような美品はとんでもなく希少といえるでしょう。


古書店三月兎之杜では、昭和の人気コミックの買取をお待ちしております。単行本はもちろんこの時期のジャンプ本誌についても大歓迎! まずはお気軽にご連絡ください。

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投稿者:taguchi

木谷實全集 トップ画像

明治42(1909)年生まれの囲碁棋士、木谷実(實)の全集をお譲りいただきました。ありがとうございます。

木谷実(きたに みのる)は神戸に生まれ、少年時代から天才棋士として活躍。各種手合(対局)に取り組むと同時に囲碁研究にも打ち込んだ人物です。昭和8年に呉清源と共に発表した「新布石」は、斬新なスタイルで話題となります。実際に彼らはその新布石によって好成績をおさめています。

翌年に平凡社から出版された『囲碁革命・新布石法』は実に十万部の大ベストセラーとなるなど、社会現象ともいえるブームを巻き起こしました。いかに木谷たちが生み出した新布石が革新的であったかと同時に、当時の囲碁人気を感じますね。

「新布石」は田中不二男らが「ウルトラ新布石」を提唱するなどヒートアップしましたが、1936年頃には沈静化していきました。

生い立ち

木谷實全集 1巻

木谷は8歳の頃より鳥居鍋次郎に師事し、続いて鴻原正広久保松勝喜代に師事しました。大正10(1921)年、12歳で鈴木為次郎の内弟子となるべく上京。この時二所ノ関部屋に居候することになり、力士たちに弟分としてかわいがられた縁で大食漢となったといわれています。

大正13(1924)年に入段。同年に設立された日本棋院に参加し、そこで中国出身の呉清源と出会います。

▼呉清源についてはこちらもご参照ください

以後、木谷は毎年のように段位を上げ昭和2(1927)年には四段となり、「怪童丸」の異名で呼ばれるようになります。各種手合いでも好成績を重ね、本因坊名人引退碁に勝利します。その激戦の様子と世襲制だったそれまでの本因坊制度の終焉は、川端康成の『名人』に描かれるほどの名勝負でした。同作における本因坊の対局者「大竹」のモデルこそ、木谷その人です。

また、自宅を木谷道場として後進の教育にも力を注ぎます。彼の弟子たちは1970年代から平成初頭頃までタイトルを多数奪取し、現在も孫弟子まで含め一門からプロ棋士を多く輩出しています。1975年12月、木谷はこの世を去りました。

獲得タイトル

木谷實全集 本

木谷は不思議とタイトルにはなかなか縁がなく、初タイトルは1957年の囲碁選手権戦と最高位戦。翌年には最高位戦を連覇し1959年にはNHK杯にも輝きます。しかし自らそれまでの世襲制に引導を渡したはずの本因坊戦では、三度挑むものの挑戦者止まりでした。ただし1971年に門下生である石田芳夫が「本因坊」を獲得しています。

著作・打碁集

先述の「新布石法」(1933)は木谷と呉の研究を囲碁ライターの安永一がまとめたものですが、翌年には自ら執筆した「布石と城跡の統合」を上梓。晩年には脳溢血によって療養と復帰を重ねます。1968年の第六期プロ十傑戦を最後に正規の手合いからは離れます。同年打碁集『現代の名局3・4 木谷実』が誠文堂新光社より刊行されています。

木谷實全集 奥付

今回お譲りいただきました『木谷実全集』は、1977年刊行開始。翌78年5月に第5巻が発売され完結します。このほか1980年にスタートした打碁全集シリーズ『現代囲碁大系』(講談社)では、全47巻中の第8巻『木谷実 上』と第9巻『木谷実 下』にまとめられています。


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