かつて住んでいた街/『憑きもどり』|第14回 千澤のり子 エッセイ


 先日、作家友達の明利英司さん原作『憑きもどり』の上映会を観るため、イオンシネマ板橋を訪れました。場所は、東武東上線沿線の東武練馬駅のすぐ近くにあります。線路を境に北が板橋区、南が練馬区という変わった区画の街で、1996年から2001年前半まで、私は板橋区側に住んでいました。
 今となっては縁もゆかりもない街なので、再び自分が足を運ぶとは思ってもいませんでした。とっくに捨てたはずの思い出が蘇ってくるかもしれません。
少し複雑な気持ちで電車を降ると、そこは見知らぬ街になっていました。ほとんど変わっていないのは、いつも使っていた北口改札だけです。

物件を紹介してくれた不動産屋さんも、野菜をおまけしてもらっていたスーパーも、店頭で1,000円セールをしていたお洋服屋さんもありません。角のミスタードーナツも、外装が変わっています。外食チェーン店が増えていて、個人経営のお店はほとんどなくなっていました。
当時、通っていた書店も、ありません。小さなお店で、出入り口に新刊が平積み、真ん中に間仕切り代わりの棚が並んでいました。入って右が小説、左が雑誌や小説以外の書籍に分かれていて、小説のほとんどがミステリです。翻訳作品の文庫本も充実していました。おそらく、店主の好みだったのでしょう。
最初の数年は散財していましたが、私はしだいに購入する本を厳選するようになりました。あらすじを読み比べて棚に戻し、文庫化されるまで待つ日々。趣味にたくさんお金を費やす余裕がなかったのです。
それでも1回だけ、欲しい本をすべて買った月がありました。祥伝社文庫15周年記念特別書下ろしの第1段です。1冊400円、中編の推理小説シリーズで、10冊買っても4,000円。とてもお得な気分になれます。
あれもこれもと大人買い。重いビニール袋をベビーカーに下げ、帰宅して床に座り、並べてみました。それだけでも大満足です。テレビをつけて家事を始め、どの作品から読もうかと考えていたら、何か忘れていることに気がつきました。
0歳児の息子が、とても静かだったのです。
起きていたら、あちこち這いずり回っているので賑やかです。眠いときは大泣きするので、あやさないとなりません。
まさか、ベビーカーから降ろさずに外に置いたままかもしれないと、玄関に行こうとしたら。
息子は、買ったばかりの本のカバーを、ビリビリに破いていたのです。ちょうど最後の1冊を終えるところでした。
叫び声も出ません。怒っても、赤ちゃんだから無駄です。
「アヒャッ」
 誇らしそうに笑顔を向けられました。
「楽しかったか。そうか。よかったね。いっぱい遊んだね」
 脱力した私は、小さな頭をなでながら、一緒に夕寝をしました。負の感情が起きたときは、たとえ当人が原因であっても、息子を抱っこしたら落ち着きます。この上なくがっかりしていたけれど、目覚めたときはいつかまた書い直せばいいかと思えるようになっていました。
それから何回も引っ越しをしたため、手放した本や自宅で行方不明になっている本もたくさんありますが、写真の2冊はすぐに出てきました。取っておいたはずの目録は見つかりませんでしたが、ラインナップを見たら、あのとき買った本はすぐに分かります。
イオンまでの短い道のりを歩きながら、過去が相殺されていることに気がつきました。今でいうワンオペ育児で、相当苦労はしたけれど、それらが楽しい思い出に変わっています。
肝心の映画は、とても満足しました。効果音と悲鳴とグロシーンばかりで怖さを表現しているわけではありません。原作を知っているからこそ分かる不安定感がよかったです。
終了後は原作者と主役三人娘によるサイン会で、私もちゃんと並びました。それ以外にも、お友達特権でキャストさんとツーショット写真を撮ってもらえたり、楽屋におじゃまできたり、貴重な経験ができました。
次にこの街に来るときは、自分の住んでいたアパートの近くまで訪れる予定です。

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