第13回 大庭健さん 追悼のかわりに

 はじめての分析哲学
 2018年10月11日、倫理学者の大庭健さんが亡くなりました。専修大学の名誉教授で、大学の図書館長や日本倫理学会の第33・34期の会長も務めていた方です。
 先生と出会ったのは1993年4月、ゼミのガイダンスの場でした。私の専攻していた文学部人文学科は、2年次からコースに分かれます。まったくやる気のない学生だった私が選んだのは、哲学人文コース。単純に教科書が少なくて出席を取らない授業が多かったからです。大庭ゼミを訪れたのも、必修科目は学校に行く気力のある月曜日に済ませておこうという単純な理由でした。
 やることは分析哲学で、主題は「10年前の私と今のこの私は、果たして同じ私といえるのだろうか」という自己同一性。レポーターがテキストに基づいたレジュメを発表し、それに対して自由に議論を重ねるという形式です。
 テーマも面白そうだし、ここならやっていけそうと思ったのが大間違い。2年次のテキスト、S.シューメーカー『自己知と自己同一性』は何が書いてあるのかさっぱり分かりません。論客ばかりの4年生たちについていけず、強面の3年生から叱られ、意見を求められても固まる始末。先生が私の言いたいことを要約してくれて、やっとゼミについていくことができたという1年間でした。
自己知と自己同一性
 翌年の3年次、17人いた同期のほとんどが移動して3人になってしまい、テキストも英語の哲学論文集になりました。ほかの授業に行っている余裕なんてありません。わずか数ページの英文を理解するだけで1週間が終わっていました。最上級生の4年次では、良き論争相手の同期男子と双方をなだめてくれる同期女子の3人で、後輩たちを引っ張っていかなければならず。そのおかげで、議論は今でも慣れています。
 フリートークとはいっても、先生の方針は、テキストを理解するだけなら、「国語の確認」。他の哲学者の見解を述べたら、「それは他人の意見」。哲学書を読む余裕がほとんどなかった(だって遊びたいし、ミステリ読みたいし)私にとっては助かりました。でも、自分なりにテキストを解釈して、そこから独自の考えを述べ、さらに問題提起もしないとなりません。
 とても難しいですが、知識や経験は関係なく、誰とでも肩を並べて議論を交わせるのが分析哲学の良さだと捉えています。
 現役時代は「議論が滞ったときに交通整理をするゼミの古株」という扱いしかしていなかった先生とは、卒業が決まったあたりから多少の雑談も交わせるようになり、いろいろな言葉をいただきました。

 「悪いところは当人に面と向かって言え。いいところは当人のいない場で褒めろ」

 これが、もっともインパクトに残っている言葉です。
なのに、先生は「彼女の英語能力は中学生以下だ」と、私不在の飲み会でよく嘆いていたそうです。それから、「彼女は論理に対し直感でぶつかっていくから、たいてい的外れで終わる」と言っていたとも聞いたことがあります。……矛盾しています。「だけど彼女の直感が当たったときは、ものすごい武器になる」と褒めてもくれていたそうです。文章を書いていてくじけそうなときには、この言葉を思い出すようにしています。
 なんだかんだと25年。卒業してから5年ほどゼミに顔を出し、第二子が生まれてから「子育てを優先しなさい」と言われても3年以上会わない期間はなく、退官の3年くらい前から年に数回は先生の顔を見に行っていました。でも、哲学の話はまったくしません。話題は同行したOBや、久しく会っていないOBの近況ばかりです。私は伝書鳩じゃないと思っていました。
 最期に会ったのは、先輩から余命2週間と知らされた日でした。すっ飛んでいったら怪しまれるから、この近くで会議があったことにしようとご自宅を訪問しました。でも、そんな気遣いは不要でした。これが最期だと分かったその日から、哀しみは癒えていません。

 二度と会えなくなって初めて、先生から「久しぶり」と言われたことが、一度もなかったことに気がつきました。そういう方だったのですね。
 ちょっと気持ちが落ち着いたら、実は未読の『はじめての分析哲学』を読む予定です。
ご冥福をお祈り申し上げます。

千澤のり子(ちざわのりこ)

1973年生まれ
作家。近刊は『鵬藤高校天文部 君が見つけた星座』。
ボードゲーム好きで『人狼作家』の編集も手がけ、羽住典子名義でミステリ評論活動も行っている。

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