第五の奇書を選ぶとしたら(竹本健治さんと)|第16回 千澤のり子 エッセイ

 先日、作家の竹本健治さんが上京された際に、二日間にわたって長時間お話する機会がありました。内容のほとんどがミステリに関することです。
一日目は叙述トリックについて。
「叙述トリックもので、犯人がそのトリックを認識している作品ってあるのかな?」
「ただし、作中作は除く」と言われ、改めて振り返りました。パッと思い浮かんだのは、あるミステリ以外の映像作品です。小説は、自作しか思い出せず。おしゃべりの場ではネット検索や資料を使わないというポリシーにより、リタイア。記憶力の衰えを実感しました。
 その後、「叙述トリックという言葉はいつから使われるようになったのだろう」という話題になりました。「叙述トリック」は、人から直接聞いたわけではないのに、なぜか昔からよく知っている言葉です。雑誌か本か、どこかで目にしたから覚えたはずなのですが、やはり思い出せません。帰宅してから書いてありそうな文献をあさっても見つかりませんでした。
二日目は竹本さんからのお題に答えていく形式でおしゃべりは盛り上がりました。
「棺桶に入れてほしい本は?」
 自分が携わった本は除くそうです。
「星新一『おのぞみの結末』」
 この本は、32~3年前に生まれて初めてプレゼントされた本なのです。自分の人生から外すことはできず、終焉を見届けてほしいと思っています。

「本そのものなのね。中身だったら?」
「『ニューウェイブ・ミステリ読本』」
「やっぱり小説ではないんだ」
「みんないるから寂しくないもん」
作家インタビュー、ブックガイド、評論、私の好きなものがすべて詰まった作品です。
寂しがりやなので、一作家とか一作品とか選ぶことはできそうにないし、人生が変わってしまった本なので、一冊だけ選ぶならこの本です。
火事のときに持って逃げるなら、無人島に一冊だけ持っていくなら、質問が変わればおそらく違う本になったかもしれません。
「ぼくはなんだろうなあ。中井英夫さんの作品かなあ」
 その敬愛される方の書かれた『虚無への供物』は、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、夢野久作『ドグラ・マグラ』とともに推理小説の三大奇書といわれていました。そこに竹本さんの『匣の中の失楽』が加わり、現在では四大奇書となっています。
「羽住さんにとっての第五の奇書は?」(私は評論名義で呼ばれています)
 竹本さんは第五の奇書になりそうな作品を探し読みしているそうです。
 小説世界に呑み込まれて、文章に触れるだけでめまいがしそうな本。強烈なインパクトを残し、現実世界に帰ってこれなくなる作品。人間を酔わせることができる書物。
 候補作はいくつも浮かびましたが、同列になってしまいます。
「登場人物がすぐ目の前にいそうで、でも、現実離れしていて、読者なのに私もその作品の中に入りこんでいて……」
 奇書のイメージを語っていたら、タイトルが浮かんできました。
「なんでしょ?」
「新井素子『…絶句』」
「ほお」
「でもミステリじゃないー」
「あれぇー」
 今なら、私は迷わず第五の奇書として法月綸太郎『挑戦者たち』を選びます。「読者への挑戦」だけで構成された、まさにミステリ好きのために作られた作品で、バリエーションの豊富さにも圧倒させられます。
 読んだ当初は、ミステリ好き以外の人が楽しめるのだろうかという疑問が生じたけれど、逆にこの本を読んで「読者への挑戦」が入った小説ってどんな作品があるのだろうと興味を持つ人もいるかもしれないと、なぜかこのおしゃべりの後に思いました。

その後は、ミステリ以外の好きなジャンルに話題は移りました。私は気が狂いそうなほどのラブ・ロマンス作品が好きで、一時期はレディコミをとにかく読みあさっていたと打ち明けました。
「この作品はメロドラマ的ですごく面白かったなあ」
 お話に出たのは、アイリス・マードック『ユニコーン』。読むのはしばらく先になりそうですが、今まで経験できなかった世界が味わえそうな予感がしています。
 お題が面白かった今回のおしゃべり。特に第五の奇書について、いろいろな方の意見をまとめたら読み応えのある特集が組めそうです。

※第11回のエッセイで「竹本健治さんのお宅訪問!」も公開しております。よろしければリンク先より是非ご訪問下さい(編集者:注

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