ちょっと奇妙な話|第62回 千澤のり子エッセイ

 昨年、北海道を訪れた際に、ちょっと奇妙な出来事がありました。
 評論家仲間に案内してもらって豊平川のサイクリングを終え、北海道出身女流作家第一号の森田たま氏の生誕地を外壁から眺めたあと、一人で走らないとならない時間がありました(正確には、片側三車線の広い道路に出ていたので、すぐ近くを走ることができなかっただけなのですが)。 

森田たま氏の生誕地

 「次の次の信号を渡ったところで、一旦ストップ。次は、あの建物の横の信号で合流しましょう」
 道路沿いには、明治時代や大正時代から建っていそうな建物が点在していました。珍しさに気を取られていましたが、立ち止まって写真を撮る余裕はありません。はぐれないようにと、必死にペダルを漕ぎ続けます。
 そのとき、車以外は私だけという瞬間がありました。歩行者も、自転車やバイクに乗っている人もいません。
 ちょうど、人形に関する建物の横を通り過ぎたところでした。古い店舗で、人形は展示されているのではなく、制作所みたいな印象を受けました。
 はっきりしている建物の記憶は、古い日本家屋で、四つ角だったか、角を曲がってすぐだったかということと、右側走行をしてしまっていたというくらいです。
 ほかには、人形作家が登場する本を連想していました。
(人形作家が登場するミステリは、綾辻行人『びっくり館の殺人』と『Another』の、どっちだっけ。加納朋子『コッペリア』にも出てきたような気がするけど、記憶違いかな。たしか、そんな職業の人が出てきたテレビドラマもあったはず)
 あとで調べるか、評論仲間に聞いてみようと思っていたのに、すっかり忘れていました。
 思い出したのは、何ヶ月も経ったあとになります。
 ツイッターで、札幌市にあるという、人形に関係する古い建物がリツイートで流れてきました。
 (あの建物だ!)
 思わず、「豊平川サイクリングの後に見た建物かな」と、反応してしまいました。
 けれど。
 評論家仲間が言うには。
 「この建物は5年以上前に解体されたそうです」
 いったい私は、何を見たのでしょう。
 一瞬だけ、時空を超えていたのでしょうか。
 そんな非科学的なことなんて、ありえません。
 私はもともと、現実主義者です。超常現象も心霊現象も思い違いの一種にすぎず、死後の世界や前世の記憶は、死に怯える人間を救うための作り話だと思っています。神様だって、まったく信じていません。幽霊が本当にいるのなら、会ってみたいくらいです。
 ほかには。
 世界の七不思議は、頑張ったらできた。
 バミューダトライアングルは、気流や海流が原因。
 メアリー・セレスト号は、乗員全員が海に飛び込んだ。理由などない。
 いわゆる科学で証明できない奇妙な出来事は、これらのように解釈しています。
 宇宙人は、もしかしたらいるかもしれません。
 でも、何億年も続く地球上で、たまたま私が生きている数十年の間に、宇宙人や未確認飛行物体と遭遇するなんてことは、確率的にありえないだろうと捉えています。
 UFOを見たという経験談を、3つほど直接聞いたことがありますが、酔っ払っていたか、蜃気楼の類か、飛行船かのいずれかだと思っています。「見た」ということまで否定はしません。
 それでは、私の経験は何だったのでしょうか。
古い建物のあった付近で人形を作っていたという、ポスターあるいは説明書きでも見たのかもしれません。
 それで、人形作家の本を連想したのでしょう。
 錯覚の一種であってほしいです。
 実体験では否定しますが、奇妙な物語は大好きです。
 一作だけ選ぶとしたら、今村夏子『あひる』の表題作のような、日常生活でちょっとした奇妙な出来事を経験し、害はなくても心が落ち着かなくなる、不安定な感情にいざなわれていくという作品に惹かれます。
 小さい頃はリアルで起きる不思議な出来事が大好きだったのに、いつからこんな人間になったのだろうと振り返ってみました。
 やはり、「この世には不思議なことなど何もないのだよ」という台詞の出てくる京極夏彦『姑獲鳥の夏』に影響されたのかもしれません。
 でも、どのみち一回しか生きられない命ならば、もう少し理屈で説明できない経験をしてみたいものだと思っています。

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