ダブり本懺悔、あるいはいいわけ|第56回 千澤のり子エッセイ

 1999年前後は、かなりお金に困っていました。そうはいっても、完全に衣食住に困っているわけではなく、その日暮らしはできるけれど、未来はまったく不透明という程度でした。
 貯金を切り崩す生活のなか、真っ先に節約したのは、娯楽費です。本を買うときはどうしてもという作品だけにとどめ、あとは図書館を利用したり、いただいた本を読んだりする毎日でした。
 観たい映画はレンタルビデオ店ですら借りられない。行きたい場所にも行かれない。外食なんてとんでもない。お惣菜やお弁当ですら買えない。家にいればお金は使わないので、必要最低限の外出しかせず、家に引きこもってドラマ鑑賞と読書ばかりしていました。
 当時の最寄り駅近くにあった個人経営の書店では、ミステリの新刊が必ず入荷されていたので情報には困らなかったけれど、購入を諦めた本が数多もあります。
 現在は幸い、そこまで生活には不自由していません。ですが、反動はやってくるものです。欲しいと思った本は必ず購入するようになってしまいました。
 特に古本には、気軽に言えない金額を費やしています。あの時買えなかった本が欲しい、泣く泣く手放した本をもう一度手に入れたいと、月に一度は神保町の古書店をめぐるようになりました。
 ただ、私の金銭感覚は低いです。古書マニアの方々と比べたら、たいした量も持っていません。むしろ、この程度で古本好きを自称していたら恥ずかしいくらいだと思っています。
 なのに、なぜかダブり本って出てくるものなのですね。
 中西智明『消失!』のように、あえて版違いで持っている本は別とします。中町信作品も、2周目、3周目のコンプリートを目指しています。処分される際にいただいた本も省きます。うっかり電子書籍で購入し、後から紙の本で書い直した本も、スペースは変わらないので対象外とします。
 最近、うっかりダブってしまった本は、笹沢左保『招かれざる客』。昨年の10月、徳間文庫から「トクマの特選!」という復刊専門レーベルが立ち上がり、その第1弾の1冊です。ミステリだけではないのですが、やはりミステリ作品に注目しています。たしか、図書館で読んだのだよなあ、だから、持ってないはずと思って購入したら、あっさり本棚から見つかりました。招かざる客
 ほかには、なぜ2冊持っているのかまったく分からない多島斗志之『神話獣』。一時期、多島作品にはまっていて、ミステリ作品以外でも集めていた記憶はあります。おそらく、目に止まったからという理由で買っていたのでしょう。
神話獣
 汀こるもの『水槽読本』は私家版です。持っておきたいと購入する際、「それなら1冊」と、誰かに頼まれたのですが、どなたかは覚えておらず。覚えのある方は名乗り出ていただけたらなあと思います。
 このように、私はすっかり、本を買う際に何かしらの理由をつけるようになっています。それでもって、自分の所有本を把握しきれていません。本は作家名ごと、あるいは叢書ごとにきちんと本棚に並べる、リストを作る、あれもこれもと買わない習慣をつけておけば、ダブり本は減らせるでしょう。
 こんな文章を書きながらも、梶龍雄『龍神池の小さな死体』を見ながら、たしか文庫本でも持っていたのにどこに行ってしまったのだろうとか、先述の「トクマの特選!」でわりと最近復刊されたのだっけとラインナップを眺めたりとかしています。
 梶龍雄は10年に1回の割合で、ネットミステリ好きの方が必死で探しているくらい、稀少本がたくさんあります。私も全冊所有していないので、もっと復刊されたらと切に願っています。水槽読本
 すぐに見つかる本はこのくらいですが、多島斗志之『症例A』、小泉喜美子『弁護側の証人』、連城三紀彦『戻り側心中』、竹本健治『囲碁殺人事件』『狂い壁 狂い窓』、天祢涼『希望が死んだ夜に』、水野泰治『歌麿殺人事件』は、別の部屋の奥底でダブりがあるのを見つけています。
 もしかしたら、これから先、また以前のような生活になるかもしれません。そのときに悔やまないように、ダブっても気にせず、欲しい本は入手する日々は、まだまだ続きそうです。

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