たゆまないこと|第49回 千澤のり子 エッセイ

 数年前から、自分は更年期に入っているのだと痛感しています。年を重ねることに抵抗はありませんが、心身のバランスの崩れをどうにかしたいものです。
 心が不調のときは、だいたい、おなかが空いているか、睡眠不足か、身体が冷えているか、肩こりなどの慢性的な痛みがあるかが当てはまります。要は、美味しいものをたくさん食べて、ゆっくりお風呂に浸かって、たくさん寝れば回復できるのです。
 問題は、それでも良くならない場合。急に動悸やめまいがしたり、顔が熱くなってのぼせたりして、一日に何度も具合の悪い状態が続きます。
 あと何年、この状態が続くのだろう。
 気分が沈んでいることも多くなりましたが、すべて身体の不調が原因だからだと捉えています。
 思うように心と身体が動かないとき、必ずといっていいほど思い出す言葉があります。
 それは、「たゆまない」こと。
 ミステリ作家の小島正樹さんがおっしゃっていた言葉です。

 小島さんは、島田荘司『御手洗パロディ・サイト事件』と『パロサイ・ホテル』に短編が掲載された後、2005年に島田荘司さんとの合作『天に還る舟』でデビューしました。その後、2008年に『十三回忌』で単独デビューを果たしています。
初めて直接お会いしたのは、今から11年前。『2011本格ミステリ・ベスト10』の「注目の気鋭」インタビューの席でした。私は初めてのインタビュアー。同じ合作小説からデビューしたということで、お会いする前から一方的にシンパシーを抱いていました。

事前にかなり準備をしてきたのに、私はうまく話せません。小島さんも初めて取材を受けられたということで、とても緊張されているご様子でした。お互い、ずっと下を向いて頭を下げているだけです。場所がホテルのラウンジだったこともあり、まるでお見合いのようでした。
自分で作った進行表を見ながら「座右の銘」をお聞きしたら、ようやく小島さんが顔をあげられておっしゃいました。
「たゆまないことです」
そのとき、一瞬だけ目が合いました。
まっすぐな瞳で、きっとこの方は表面に見えているよりも何十倍もの深い何かを持っている――私にはそう見えたのです。なんだか、「あなた自身もそうであれ」と言われたような気がして、居住まいを正した記憶があります(このときの詳細は、解説を担当させていただいた文庫版『呪い殺しの村』に記載しています)。

小島さんの作品はすべて、とにかくトリックにこだわってこれでもかと不可能犯罪の謎を取り入れた本格ミステリ作品です。「やりすぎコージー」という異名を持っています。
代表シリーズは、デビュー作から続く、探偵・海老原浩一もの。今年度刊行された『怨み籠の密室』は、いかにも胡散臭い村で起きた奇々怪々な事件を海老原が解き明かす、どこか懐かしい作品です。舞台やもうひとつのテーマである家族が絡むから郷愁を感じさせられるわけではなく、探偵小説を読み始めた当時の自分になったような、過去と現在が一体化するような感覚になりました。

事件は派手なのに、読めば読むほど静寂を感じさせられる。
作者がずっと「たゆまない」でいることが、作品にも表れているのかなと思います。
ウィキペディアの私のページにあるように、小島さんは尊敬する作家であります。右も左も分からず、手探りで必死になっていた若輩者を諭してくれたからということが大きな理由になっています。
ときどき、いろいろな仕事を同時進行させている現状を不安に思うことがあります。そのときも、「たゆむな」と言い聞かせますが、自分に置き換えると、少しだけ意味が異なります。辞書では「緩まない」「怠けない」という単語が出てきます。日頃から怠け者を自称していますが、やるときはやるので、「たゆまない」でいると思います。
では、何かというと。
「無理をしないこと」
 明日の自分のために休むことは、怠けているという意味ではないと、この年になってようやく分かってきました。
 ところで、「更年期(笑)」と嘲笑する発言をこれまでの人生で何度も聞いたことがありますが、そんな差別発言が早くなくなってほしいと心底願っています。

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