鏡の国のアリス|第47回 千澤のり子 エッセイ

 幼少の頃、「すくすくレコードブック」で『不思議の国のアリス』を聴いてから、ずっとアリスの世界に惹かれています。
 なのに、もうひとつのアリスのお話、『鏡の国のアリス』の存在を読んだのは、中学生になってからでした。おそらく、通っていた図書館の児童コーナーに置いていなかったのでしょう。たしか『不思議の国のアリス』も絵本のコーナーにしかなかった記憶があります。
 読んだきっかけは、小学校のときに新井素子『ひとめあなたに…』に出会ったことでした。
ひとめあなたに・・・ 新井素子
 『ひとめあなたに…』は、来週、地球に隕石が激突し、世界が滅びてしまうという話です。ガンで余命いくばくもないからと恋人に別れを告げらればかりの主人公は、インフラが止まっているため、歩いて彼に会いに行こうと決意します。自分の住む練馬から、彼の住む鎌倉までの道中、主人公は心の壊れた四人の女性に出会います。
 そのなかの一人のエピソードに、『鏡の国のアリス』の引用が用いられていました。眠っている赤の王様を指し、トイードルディーとトイードルダムがアリスに向かって「君はただ、王さまの夢の中のものに過ぎないんだよ!」と言う場面です。
 『ひとめあなたに…』の狂気の世界では、この言葉が一種の救いにもなっていましたが、中学に入って、ようやく読んだ『鏡の国のアリス』は、私を哲学の世界に導きました。
 『鏡の国のアリス』は、主人公のアリスが自分の空想している鏡の世界に実際に入ってしまいます。意思を持って動くチェスの駒や、しゃべる花が登場し、赤の女王に出会ったことにより、鏡の世界はリアルにチェスゲームをしていると分かります。ゲームに参加したアリスは、駒として動いていきますが……。
 マザー・グースの詩に出てくるハンプティ・ダンプティが語りかけてくる場面でも、私は衝撃を受けました。
 今、ここにいる私は、この世界に存在していると、本当にいえるのだろうか。ほかのものではない、この私といえるのだろうか――。
 ページを閉じてから「問い」が生じる物語に出会ったのは、初めてです。四六時中こんなことを考えてはいませんでしたが、大学に入ってから分析哲学の道に進み、在学中に解が出せず、卒業してからもゼミに通い、今でも時折導き出そうと試みています。

 ところで、先日、『鏡の国のアリス』展に行ってきました。『不思議の国のアリス』展には何度か訪れたことがありますが、『鏡の国』は初めての開催なのではないかと思います(私が知らないだけかもしれませんが)。
 場所は軽井沢にある絵本の森美術館です。イギリス庭園を模した庭に、いくつもの洋館、入り口にはハンプティ・ダンプティのオブジェがあり、まさにアリスの世界そのものといった雰囲気でした。
 『鏡の国』を軸にすることで、『不思議の国』との関連性をより深く知ることができるといった試みで、ひらいたかこさんのコーナーが特に充実していました。
キャラクターがメインの絵が多いなか、ひらいさんの絵はガジェットを大きく描くことによって、アリスの世界がより強調されています。赤の王さまが見ている夢を描いているかのように感じさせられました。「アリス」の物語が大勢の人に愛されるのは、やはりこのガジェットであるような気がします。

 ジョン・テニエルをはじめ、アーサー・ラッカムやチャールズ・ロビンソンの挿絵も展示されていました。珍しいサルバドール・ダリのアリス絵もありました。『鏡の国のアリス』のほうが、細かい部分の意味が分かりにくい作品ですが、ダリの絵は、その分かりにくさが全面的に表れています。
 展示を見ていたら、先の問いの解ではありませんが、自分なりの結論が生じてきました。
 自分の意思とは関係なしに一瞬で世界が終わってしまうならば、誰かの夢でもそうでなくても、大差ないのではないか。世界そのものを考えるよりも、世界を認識しているこの私に焦点を絞ったほうがいいのかもしれない――。
 この解はまだ見つからず。言葉で世界を描く術を、私は学んでいこうと思いました。

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