上高地と『殺人鬼』|第28回 千澤のり子 エッセイ

 20歳の7月から24歳のお正月まで、旅行会社でアルバイトをしていました。
 そこはもともと父が勤めていた会社で、夏の電話予約受付の人員が足りず、「明日暇か?」と駆り出されたことがきっかけでした。当時、私は結婚式場の巫女のアルバイトしかしておらず、夏休みに働ける先はないかと探していたので、まさに渡りに船の状況です。
 けれど、働き始めてすぐに、内勤よりも添乗員のほうが人手不足になってしまいました。
「今週末から添乗行ってこい」
 拒否権はなし。いわれるままに資料を受け取り、それから2回、先輩添乗員のツアーに研修同行し、添乗と内勤の掛け持ちをするようになりました。
 内勤なら分からないことはすぐに周囲の人に聞くことができますが、添乗は一人です。今のように携帯電話などはありません。トラブルが生じても自分で判断し、即座に解決しないとならず。おかげでかなり心が鍛えられました。
 朝は早いし夜は遅い。高速道路は渋滞、現地も大混雑。自由にトイレにも行かれません。
 最初の夏はかなりハードでしたが、慣れると気楽です。前日遅くまで遊んだ日は爆睡したり、週明け提出の学校用レポートを書いたり、バスの中では気ままに過ごしていました。
 本もかなり読んでいましたが、哲学書やガイドブックばかりです。ゼミのテキストは数ページでも理解するのに時間がかかりましたので、勉強にはちょうどいい環境でした。

 たまたま小説を持って一泊二日ツアーに出た秋の終わり。
 場所は3回目の上高地です。
 立ち寄りでは訪れていましたが、宿泊は初めてでした。宿までは、河童橋近くのバスターミナルから一時間ほど歩かないとなりません。バスの運転手さんもガイドさんもお別れです。
 お客さまは健脚でも高齢者が多かったので、たどり着くまでが不安でした。翌日はさらに山奥に入るプランだったので、自信のないお客さまには引き返すための目印を伝えながら到着しました。
 夕食も宿のサービスの上高地スライド上映会も早く終わり、部屋に戻ったらまだ20時台。テレビもなかったので、暇です。そんなときは読書です。
 わくわくしながら取り出したのが、綾辻行人『殺人鬼』でした。
 刊行は1990年。ノベルスか文庫でないと本を買えない経済状況でしたが、ハードカバーでも気にせず購入するようになった時期でもありました。

 未読でした。だから、持ってきたのです。
 ……読まなきゃよかった。
 でも、読んじゃった。
 人里離れた山荘で、一人部屋で、山が舞台のスプラッタ・ホラーなんて、読んではいけません。
 怖くて大浴場まで行くこともできません。食事の後で、本当によかったと思いました。電気もつけっぱなしで布団をかぶりました。
 夜中、上高地には初雪が降り、起きたらあたり一面が銀世界でした。
 朝食の席でお客さまに相談し、半数以上が河童橋まで引き返すことになりました。けれど、山歩きに慣れているお客さまは、先に行くことを希望しています。
 宿に頼み、歩くのが危険だと判断したお客さまは車に乗せてもらいました。持ち運びできるお弁当で自由昼食だったので、最終集合時間を伝え、ツアーは二手に別れました。
 ハイキング用の靴を履いていたとはいえ、雪道は慣れません。私は最後尾で、あっという間に前を行く人たちの姿が見えなくなります。
 こんな寒い雪の日に殺人鬼など現れるわけがない。
 だって、人を殺してる場合じゃないでしょう!
 そもそも自分だって遭難しかねない。
 どうにか、恐怖は消え失せました。
 途中の山荘に到着したら、ツアー中止の指示が会社から届いていました。数十分歩いていたのに、晴れていたら15分ほどでたどり着ける場所だったのです。雪の山の大変さを実感しました。
 それから、お客さまの点呼を取って、先に送り出し、後から河童橋に向かいました。
 怖くて不安で心細くて、半泣きで冷たい雪の中を歩いた記憶があります。
 その後、大学3年生のお正月で添乗員は辞め、どうしても人が足りない時期だけお手伝いをしていました。
 上高地は何度も訪れ、そのたびに苦労をしていましたが、今でも訪れたい場所であります。

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