(綾辻行人)アヤツジユキト・ウェブコミュニティ|第18回 千澤のり子 エッセイ


 綾辻行人さんが第22回日本ミステリー文学大賞を受賞されました。その記念として、「わたしと綾辻さん」というテーマのつぶやきをツイッターで見かけました。私も本稿で便乗させていただきます。
 たいていの方と同じように、初めて読んだ綾辻作品はデビュー作の『十角館の殺人』でした(画像は後に買い直した喜国雅彦さん装画の新装改訂版です)。時期ははっきり覚えていませんが、1991年から1992年の間くらいです。閉鎖された状況における連続殺人の臨場感を存分に味わえ、小学3年生から中学2年生にかけて必死で読んでいたミステリ作品特有の面白さが、その一冊だけでもたくさん詰まっていました。
『十角館』から自然に「新本格」というジャンルを知り、私はミステリ熱を取り戻しました。

 月日は流れて1999年の冬。大学の大庭ゼミ同期の家に遊びに行き、「インターネットをしてみよう」という流れになりました。旅行会社でアルバイトをしていた頃はパソコンに触っていましたが、決まった画面に日付の数字やコード番号を入れるくらいしか操作は分かりません。
「ここに調べたい言葉を入れるんだよ」
「じゃあ、綾辻行人」
 文字を入力することもできなかったので、友達が代わりに検索してくれました。出てきたウェブサイトには、チャットがありました。自分以外に綾辻作品を読んでいる人を知らなかったので、とてもびっくりした記憶が残っています。
「名前、何にする?」
「はすみ」
「本名じゃないほうがいいかも」
「のりりん」
 自分のあだ名を入力してもらいました。
 部屋には人がいて、あいさつをされましたが、私にはコンピューターの自動入力にしか見えません。会話もほとんどできないまま、その日は退室しました。
 数カ月後。子供を連れて実家に行ったら、パソコンがありました。購入したのではなく、レンタルサービスを利用したそうです。でも、せっかくだから使ってみようと、説明書を片手に、私は再び「綾辻行人」と検索し、ファンサイトにあったチャットルームに入りました。
 そこには「はやせ」という名前がありました。画面の文字を見ると、日常会話のように話しかけてくれています。私もキーボードを見ながら、好きな綾辻作品や自己紹介などを入力していきました。しばらくしたら、ほかにも入室者がやってきて、ようやく私は人間と話をしているのだと実感できました。
 これが、当時は名前が異なりましたが、アヤツジユキト・ウェブコミュニティに出入りするようになったきっかけです。
 実家で滞在している間、eメールの送受信の仕方から、掲示板でのコミュニケーション方法まで、私は「はやせ」さんからインターネットの使い方をたくさん教えてもらいました。文字だけのやり取りだからこそ、言葉遣いに気を付け、みんなが会話に参加できるように配慮するマナーも覚えました。
 自分が何者であるかは関係なく、でも、「のりりん」という個人として扱ってもらえる時間は、私にはとても貴重でした。「○○ちゃんママ」でなく、好きな話をすることができるのです。次第に、実家からパソコンを借り、テレホーダイに加入して、自宅からでもチャットをするようになりました。おかげで、昼夜逆転していた子供に生活リズムをあわせるのも、苦痛ではなくなりました。
 スプラッターホラー+ミステリの大傑作『殺人鬼』を目印に初めてのミニオフ会。「はやせ」さんとは自宅近くまで遊びにきてもらう仲にもなりました。前に本記事に書いた親友・Sも、このサイトの集団オフ会で出会っています。
 管理人の「沢坂なお」さんが小説をアップしてくれるとのことで、ショートショートを寄稿したこともあります。もっと入力を早くしたいからと、読んだ本の感想を次々に打ち込んでキーボードの練習をしたのも、今の自分の仕事に役立っています。
 あの頃の私は、後に綾辻さん御本人にお会いできるとは、夢にも思っていませんでした。『人狼作家』の帯にもお言葉をいただいています。

 先日、ミステリー文学資料館で開催中の「綾辻行人の世界展」を訪れ、改めて心の中でお礼を言いました。私がこの場で原稿を書けるのも、あの日「綾辻行人」と検索したおかげなのです。

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