「昭和の棋聖」「碁の神様」とも呼ばれた天才棋士・呉清源の著作集全揃いをお譲りいただきました。先日ご紹介した「怪童丸」木谷實と共に「新布石」を提唱し、昭和期の囲碁界を席巻した人物です。
呉清源とは
生い立ち
呉清源は1914年(大正3年)中国福建省生まれ。5歳の時より四書五経を学び、7歳の時に父・呉毅が日本から持ち帰った棋書や取り寄せた棋書から碁を学び、神童と呼ばれるほどに実力を開花させます。9歳の頃には北京の碁会所で当時の一流棋士と打つようになり、10歳で父を亡くすも、資産家や文化人たちの間で天才少年として話題となります。
呉清源の才覚は日本人の間でも話題となり、自分たちのクラブにも彼を招くようになります。日本の囲碁界では訪中した邦人棋士たちと互角以上の実力を持つ呉の訪日が計画され、1928年、14歳で母たちと共に日本に渡ります。
新布石
来日後まずは三段でスタート。「呉少年出世碁」と呼ばれる対局で名立たる棋士たちと渡り合いますが、この時に当時まだ二十歳そこそこの木谷實とも対局しています。その直後の1年は健康上の理由で大手合は休場しつつも、対局で好成績を維持。1930年からの大手合では3年間に29勝3敗の好成績を収めるなどの目覚ましい活躍を果たします。
1933年には五段に昇段し、同じく五段の新進棋士だった木谷と十番碁で対局。同勝負は木谷の六段昇進で中止となりましたが、この時に呉が試した従来は異なる布石に木谷が注目します。木谷は地獄谷温泉に呉を誘い、自らの構想する中央重視の序盤理論を提唱。呉もその発想に深く興味を抱いて共に研究していきます。二人が打ち出した新たな布石理論は早速その秋の大手合にて実践され、呉は1等、木谷は2等とワンツーフィニッシュを成し遂げます。この時用いられた布石こそが「新布石」です。
呉清源時代
以降も囲碁界を牽引する若手棋士として木谷と共に活躍。1939年から1941年にかけては読売新聞の企画での両者の打ち込み十番碁が行われ、6勝4敗で勝利。勝負の舞台には鎌倉の名刹が用いられ、鎌倉十番碁とも呼ばれます。
1942年に木谷と共に八段に昇段、同年に妻を迎えます。戦中に入信した璽宇教の教祖と共に1948年にかけて各地を転々としますが、事業家の西幸太郎が横浜の自宅離れに食客として呉一家を滞在させます。囲碁界に復帰後も大手合や十番碁などで勝ち続け、彼の来日から1960年初頭にいたるまでのおよそ三十年は「呉清源時代」とも呼ばれました。
1961年に交通事故に遭ってからは後遺症に悩まされその勢いは陰るも弟子たちも活躍。1984年に引退するも研究者として歩み続けます。2014年に満100歳でその生涯を終えますが、彼の死後に登場したアルファ碁などの人口知能は、彼が引退碁に提唱した「21世紀の碁」の影響を受けていると言われています。
呉清源全集
著書としては打碁集全集や詰碁集のほか、随想録や回顧録などを著わしてします。今回お譲りいただきました「呉清源全集」は、引退までの各著作を集めた、現役時代の集大成ともいえる内容で、編集顧問としてプロ棋士の大竹英雄と林海峰が名を連ね、編集主任は「月刊囲碁」初代編集長の勝本哲州が担当しています。1987年から1989年にかけて白水社から発刊された和綴じ全15巻と別巻1巻の全16巻を、収納用の桐箱と共にお譲りいただきました。
先述通り引退後も研究を重ねましたので、1992年に発表された「21世紀の碁」関連の著作などは含まれていません。しかし本全集およびそれ以降の書籍とあわせ、真の呉清源全集をお手元に揃えるのも研究家の楽しみかもしれませんね。
古書店三月兎之杜では、呉清源および木谷実といった棋聖たちの著作や全集の買取をお待ちしております。特に昭和期に発行された著作は大歓迎! 古い発行物ですので、痛みや破損などはあって当然のものと考えます。まずはお気軽にご相談ください!
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