殺すほど重要な存在じゃない人に遭った話|第32回 千澤のり子 エッセイ

 緊急事態宣言が終わりを告げてから3週間以上が経ち、県外への移動も自粛解除がされました。
長い自粛期間中、家事の量が増えたくらいで、私の日常はほとんど変わりません。ただ、散歩をするだけで非難されるのではないか、これからの仕事はあるのだろうか、物資は手に入るのだろうかという不安に、ずっと苛まれていました。
仕事はかなり減りましたが、ありがたいことに、電車に乗る通い仕事は継続していました。目的地まで3本の電車を乗り継ぎますが、どの路線も、ほとんど乗客がいません。人と接触しない車内は、とても快適でした。
そのとき、ふと気になったことがあります。
それは、電車で起きる犯罪は減っているのではないかということです。
犯罪といっても、エラリー・クイーン『Xの悲劇』のようなトリッキーな殺人事件ではありません。スリや痴漢といった、満員電車という条件のもとに起きやすい類の犯罪です。
今から22年くらい前、私も毎日の通勤に電車を使っていました。東武東上線の東武練馬駅から、JR浜松町駅まで約1時間。乗車時間は長くても、そのうちの半分くらいは座ることができました。
その日も、大塚駅あたりから長座席の端を確保でき、買ったばかりの本を開きました。車内は混み合っています。手すり近辺に立っている人が着席している私に寄りかかってきました。
私の二の腕に違和感が生じています。さほど珍しいことではありません。感触や動きが不自然に思えたので、目を向けてみました。
中年の男性が、私の二の腕に男性器を当て、こすりつけていたのです。
痴漢です。
 でも、手を使っていません。言い逃れはいくらでもできます。指紋だって残っていないのですから。
 とっさに私は立ち上がり、持っていた本の角で、男性の眉間を殴りました。
周囲の乗客たちは驚いていましたが、私は何事もなかったように、座り直しました。男性は何も言わず、次の駅で降りていきました。私の勘違いなら抗議の声をあげるはずなので、殴られてもおかしくない行為をしていたのでしょう。
許せない行為ではありますが、大怪我をしていたらどうしようと、後から不安になりました。重い本は凶器にもなりうるのです。実際に、本が凶器だったという真相のミステリ作品を読んだことがあります。

「痴漢なんて、殺すほど重要な存在じゃない」(石持浅海『温かな手』収録「酬い」より)
 今となっては、この言葉に、とても同意しています。むしろ、本に謝らないとなりません。

私が武器にした本は、浦賀和宏さんのデビュー作『記憶の果て』でした。大学を卒業してからもこだわっていた分析哲学と重なる部分があり、自分よりも年下の若者がこんな作品を書いたのかと、衝撃を受けました。
バチがあたったのか、『記憶の果て』は、現在、家の中で見つかりません。まさか続くと思っていなかった『時の鳥籠』が刊行されたときは、本当に嬉しく思いました。浦賀作品の中で一番好きなのは、死体の一部分を食べた理由にのけぞった『眠りの牢獄』です。偏愛しています。次いで『記憶の果て』、それから、かなりあっけにとられる結末の『地球平面委員会』もとても好きな作品であります。壊れた世界が好きな者にはたまりません。

ツイッターで浦賀さんに出会うことができ、相互フォローとなり、ときどきやり取りがありました。著作で痴漢を殴ってしまって申し訳なく思っていることは、つぶやいたかどうか覚えていません。
ただ、私が大ファンだったということは、ご本人に届いていたのではないかと思っています。
遺作となった『殺人都市川崎』は、「よくここまでやってくれた!」というくらい、読み手のテンションが高くなる作品でした。
亡くなった事実を受け止めてはいても、私の中では生き続けている作家です。遅くなりましたが、ご冥福をお祈りします。
街は少し前が信じられないくらいに、人通りが戻っています。電車も元通りに混んできました。コロナも早く終息してほしいですが、「殺すほど重要な存在じゃない」犯罪者たちも、消滅してほしいと願っています。

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