1980年代前半、昭和50年代後半頃の『週刊プレイボーイ』をお譲りいただきました、ありがとうございます! この時期の芸能界周りで一番衝撃的だったのは、やはり松田聖子のデビューとその爆発的人気、その影響による80年代型アイドルの台頭でしょうか。
この時期、テレビでの歌番組やバラエティ番組、そしてワイドショーなど、タレントやアイドルの「素顔」に迫る(という名目でのゴシップ)番組が増えていた印象です。70年代の、どこか秘密のベールに包まれていた芸能人たちとは距離感が変化していきました。
すでに70年代にデビューし活躍していた石川ひとみや大場久美子も、ドラマ以外のそうした番組に出演する機会が増えていき「素」の部分を見せる機会も増えていきます。
そう考えると松田聖子の「ぶりっ子」や中森明菜の「つっぱり」的雰囲気は、逆にキャラクターというか一種のペルソナをもたせたことで成功したのかもしれません。
また、トップ画像にもあります畑中葉子は、78年に『カナダからの手紙』で大ヒット。
しかしその後のソロ活動では苦戦し、1980年ににっかつロマンポルノ『愛の白昼夢』に出演。同年8月には『後ろから前から』をリリースし、この時期(82年初頭)にはいわばセクシー枠としての地位を確立していました。
いずれにしてもこの80年代前半の女性アイドルは、ライバル関係による切磋琢磨をはじめ様々な試みが行われていた印象がありますが、いずれもそのアイドルが活動を開始。
よりアイドルが身近な存在となり人気となりましたが、同時にアイドルの神秘性などは完全に消失します。
ただしそれはアイドル戦略だけでなく、この時期の芸能活動全体で、70年代までの伝統やお約束的な慣行を瓦解させる動きがあった時代でもありました。
このへん、一種のダダイズム(既存の秩序や常識を否定・破壊する芸術活動の一つ)だったのかもしれません。

話を戻しまして、水着グラビアメインの誌面構成という、いわば伝統的なスタイルが維持されていたこの時期のプレイボーイに懐かしさを感じます。
この後80年代後半を経て、90年代にはいると雑誌業界には各種規制の波がおしよせてきます。
たしかに平成初頭はヘア解禁以降、どこまでやれるかのチキンレースが始まったやりすぎ感もあるのですが、あの時期の苛烈な規制は果たして世の中を健全にしたのでしょうか? なんとなく答えは今もう出ているような気がします。
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