1980年代の改造車中心のクルマ雑誌「ストリートレーサー」の84~85年頃のバックナンバーをお譲りいただきました。貴重なコレクションをありがとうございます。
同誌は1982年の創刊。母体である「ヤングオート」(芸文社)と同様、初期は竹ヤリ出っ歯のいわゆる族車仕様でしたが、時代が進むにつれてスタイリッシュなカスタムカーへと移行していきます。
80年代改造車事情
私も免許を取ったのが平成元年(1989)でしたので肌感覚ではわからないのですが、80年代序盤まではほぼあらゆる「改造」が違法扱いでした。車体のサイズが異なれば車検も通りませんから、車検時にはパーツを外したり、場合によっては車検には乗り換える予定で改造をしていたケースもあるようです(そのため改造ベースは旧型になりがち)。
そこに大きな改革を起こしたのが、昭和58年(1983年)の各種規制緩和です。ウイングやオーバーフェンダーなども、極端なサイズでなければ認められるようになりました。それ以前はある意味何をやっても違法ですので、グループCのスーパーシルエットばりのハリボテ車もありました。そんな無法状態から、規制緩和によって違法にならない範囲でかっこよさを突き詰める方向にシフトしたわけです。
今なお続くカスタム・チューニングカーの展示会「東京オートサロン」も、この年に第一回(当初は「東京エキサイティングカーショー」)が開催されました。
ちなみに58年の規制緩和の個人的なポイントは、ドアミラーの解禁でしょうか。この変更によって、特にスポーツカーは一気にスタイリッシュになりました。ただ、自分も乗っていたのでわかるのですがフェンダーミラーのほうが圧倒的に見やすく、ドアミラーより横の張り出しが少なくて乗りやすいのは覚えておいてくださいね。
ストリートレーサー PART7~PART10
表紙を飾る車はPART7~9はまだまだ族車スタイル寄りですよね。ただ、PART10表紙のSA22と思われる車はかなり張り出しを抑え、空力も意識している印象です。と言っても当時の規制からはみ出しているのは間違いありませんし、よほど高速で走らない限りパーツ重量のデメリットのほうが大きそうですが。
まだまだ規制緩和直後で読者投稿などは派手さがメインの改造車が多いですね。
しかし83年緩和の影響か、チューニングの時代を予感させる専門用語辞典の記事や、実用性を追求するパーツの広告がちらほら出てきています。
なお、PART8やPART10の表紙のアオリにある「ドラッグレース」は、この時期流行していた公道のゼロヨンレースのことですね。アメリカンマッスルカー同士のレースが由来ですが、狭い日本でも1km程度の直線コースがあれば開催できるため、夜間に非合法に行われました。
ストリートレーサーVOL.11~VOL.15
1985年に入るとナンバー表記が「PART~」から「VOL.~」表記に変更され、隔月での刊行となります。表紙も黒基調が多くなり雰囲気が変わりました。車両もアメリカで人気の高いフェアレディ(Vol.11)からコルベット(Vol.12、14)BMW M1(Vol.15)と外車傾向になり、記事内容でもアメ車がとりあげられます。
85年といえば9月にプラザ合意が交わされ、その後の1年間で円/ドル相場が235円/1ドルから150円前後/1ドルと急激に変わったタイミングでもあります。ですので外車が入手しやすくなり、いわゆるバブルの象徴となるのはこの少し後ですね。先述のドラッグレースの影響か、あるいは外車に対するあこがれがピークのタイミングだったのかもしれません。
読者投稿ではハリボテ系はだんだん減少していくイメージですね。ある種天然記念物的に一定のスペースを確保しているイメージすらあります。でもこうなると逆に「族車がんばれ!」という気持ちになるのが不思議なところです。え?ならないですか?
古書店三月兎之杜では昭和時代~1990年代のクルマ雑誌の買取をお待ちしております。車文化の歴史だけでなく、当時の風俗を読み解く上でも貴重な資料でもあります。特にあとがきや広告はああ、そんな時代だったねと懐かしさを感じます。
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現在も旧い車を乗り続けている人には、保全のための資料として探している場合もございます。ご自宅や実家に眠っている雑誌がありましたら是非ともお譲りください。
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