「たんぽぽ館」の思い出(児童書専門書店)|第2回 千澤のり子エッセイ

『立原えりかのファンタジーランド』(青土社)
 誰も知らない絵本を持っています。
タイトルは、『こねこのムーがつくったケーキ』。
間違いなく読んでいるのですが、内容はすっかり忘れています。家の中のどこに眠っているかも分かりません。どんなお話だったか気になるけれど、探すのはためらいがあります。
 存在はしていてほしい。でも、忘れたい。できれば、誰にも中身を見られたくない。この絵本は、小学校6年生の夏休みに、自由研究の課題で作ったものなのです。字も絵も下手、工作なんてもってのほかなのに、よく頑張りました。だからこそ、封印したままでいてほしいと思うのかもしれません。
 過去の自分と向き合うのは、時間が経てば経つほど、恥ずかしくなるものなのでしょうか。もちろん、一人で全て作成したわけではありません。
 「あなたも本が作れるのよ」
 そう言って、ノウハウを教えてくださったのは、児童書専門書店・たんぽぽ館の店主でした。たんぽぽ館は、東京都葛飾区の青戸という街にありました。初めて訪れたのは、小学校5年生のときだったと思います。「子供の本しか置いていない本屋さんがある」と母から聞いたのがきっかけで、足を運ぶようになりました。
 店内は、図書館の子供用コーナーが、そのままお店になったような感じでした。新しい紙の匂いがして、小さな木の丸椅子があって、本を読むこともできました。店主は細い縁のメガネをかけていて、痩せた背の高い女性で、なぜか薄紫色の似合う人という印象が残っています。少しかすれた声で、上品な言葉遣いで、静かに語りかける方でした。 
 私が読んでいる本を知っている人がいる。
それは、とても新鮮な体験でした。H.G. ウェルズにミヒャエル・エンデ、松谷みよ子、手島悠介、岡田敦、柏葉幸子、いろいろな作品について、実際に本を手に取りながら話をしました。講談社文庫のピンク背のメルヘンが好きだと伝えたら、『MOE』のバックナンバーも読ませてもらえました。 
『立原えりかのファンタジーランド』(青土社)『立原えりかのファンタジーランド』(青土社)
「とてもすてきな本があるの」
店主から一押しされたのは、『立原えりかのファンタジーランド』(青土社)でした。図書館には置いていなく、本屋さんでも見たことがなかった叢書です。全部で16巻、1冊780円。今の私なら、すぐに全冊購入するでしょう。
 立原えりかは、一番好きな作家でした。幻想の世界の美しさと現実の世界の生々しさがうまくかみ合った作品を多く描かれます。ハッピーエンドは少なめです。少ない枚数であっても、生きていくうえでのはかなさや、まっすぐな心でいられる難しさ、よく伝わってきます。『飾り窓』(講談社文庫)という短編集は、大人になった今でもマイベスト作品です。
 まだまだ読んだことのない作品がある。ならば、読みたい。
でも、小学生には、そんな高い買い物はできません。目録を見て、自分の知らない作品が多いもの、タイトルやあらすじに惹かれたものを選びました。お店にはなかったので仕入れてもらい、一度に買わず、少しずつ、こっそり集めました。
 1『どこにもない動物園』、5『妖精たち』、9『扉のむこうへ』、10『つばさのおくりもの』、12『おわらない祭り』、14『手品のたねあかし』、15『ほんものの魔法』。
私が選んだのは、この7冊です。主に短編集なので、すでに家にある本に収録されている作品も少なくありません。それでも欲しかった本です。今でも、家の本棚のすぐ手に届くところに置いてあります。 
 絵本づくりは、お店の2階で行いました。真っ白な画用紙をいただき、何度も何度も書き直し、最終的に店主からのオッケーをもらって、製本作業に移りました。画用紙の裏を水でといたノリで貼り合わせ、背表紙を作って閉じる。
 本を語るときは優しかった店主が、本を作るときはすごく厳しい方になりました。人に納得してもらえるものを描く。このとき教えてもらったことが、今の私の土台になっているのかもしれません。
 夏休みが終わってから、たんぽぽ館には通わなくなりました。たぶん、子供の時代から卒業してしまったのでしょう。
 自分の子供が、あのころの私の年齢を超えたくらいに、ラジオでたんぽぽ館が閉店したと知りました(注)。店主が亡くなったそうです。揃えられなかった全集は、古本屋さんを回れば完集できそうですが、たんぽぽ館で買いたかったので、ほかには持っていません。
 そして、初めての作品も、時に埋もれたままになっています。
(注:2012年3月閉店、編集者注)

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